浦和民主診療所
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所長あいさつ

地域医療を担って50年  ~地域包括ケアに向けて~

浦和民主診療所
所長 肥田 泰

所長 肥田 泰

1964年11月、当時の県都浦和市元町に浦診が開設されました。県内の民主諸組織から「県都浦和に民医連の診療所を作ってほしい」という強い要望があったことと、埼玉民医連の大会で「県内30の医師会のある地域に診療所建設を」という方針をうけて、埼玉民医連の総力をあげて浦診建設がはじまりました。初代所長の肥田舜太郎医師は行田診療所から、婦長は川口診療所から、事務長は埼玉県連事務局長の兼任と、管理部も県連あげての布陣でした。

埼玉民医連10回大会で「診療所のある地域をすべて医療生協に」という方針がだされ、浦和の地域にも医療生協を立ち上げることになりました。「自らの命、健康は自ら守る」「人権を最優先させた医療を」「予防、健診を重視」こうしたことを柱に地域で学習が盛んに行われ、浦和保健生協が設立されました。大きな特徴は労働組合のなかに医療生協の班が組織されたことです。浦診設立当初から労働争議の支援がおこなわれ、首切りにあった労働者の健康保険証を引きつづき使えるようにすることを勝ち取るなど、成果をあげたことも特筆されます。

また、老人医療費無料化の取り組みも医療生協あげての運動となり、革新県政実現の大きな力になりました。保健大学、社保学校など学んで成長する場面を増やし、地域の保健力アップに貢献しました。
北浦和3丁目への移転、さらには新築、次に西口への新築移転、ケアステーションの併設、独立といくつかの節目をのりこえて、浦診は発展してきました。とりわけ協同病院の建設にあたっては、県南3医療生協の合併を力に、多くの困難を乗り越えました。そして沢山の職員を協同病院へ送り出し、新所長を先頭に残った職員で浦診を支えました。

戦争する国作りを目指す安倍政権のもと、医療・介護が圧縮され、自己負担が増やされ、消費税値上げも加わり、診療所の経営も厳しくなってきています。
政府が「地域包括ケア」の時代と宣伝していますが、自治体まかせ、住民まかせ、自己負担増ではない、自分が住む地域の命・健康・介護を守る「地域包括ケア」をどう作っていくのか、診療所、医療生協の進化が問われる時代をむかえます。戦争をしない国、医療・介護が住民のために花開く状況をめざし、ともに前進しましょう。